そろそろ年収1000万を捨てる僕

年収1000万サラリーマンが2020年をスタートに副業・副収入を増やしフリーランスになるまでの過程をリアルタイムに毎日更新していく様を赤裸々に綴ります。

テロ翌年【NEW YORK】旅行編

どうも、こんにちは
平凡サラリーマンのma-kunです。

人生100年時代、我が人生の振り返り
テロ翌年のNEW YORK旅行編。

2001年9月11日アメリカ同時多発テロ事件が起きた
当時、僕は大学3年で深夜のカラオケバイト中だった。

少し意地悪なフリーターの先輩の指導のもと
板橋区某駅の時給1200円の深夜時給バイトを
始めたばかりの時だった。

深夜1時頃、ロン毛のポニーテールの意地悪な先輩が
「 アメリカでテロがあったぞ 」と得意げに
話しながら厨房に入って来た。

身近にテロの恐怖がない僕からしたら、テロと言われても・・・という感じだった。
むしろ得意げなそのロン毛(男)が嫌いだった。

朝7時まで働き、アパートに帰るとTVはテロの
映像でひっきりなしだった。
衝撃は半端なく、寝ずにひたすらTVを見た。

すぐにアメリカへ行く準備をした、
しかし当然渡米禁止。(行動は早い)
人生初めてのNEW YORK行きは
約1年後の2002年となった。(お金も貯めた)

テロがなかったような活気と熱気、映画の中の世界、
ブロードウェイにセントラルパーク、自由の女神
ブルックリンブリッジ、ダウンタウン
タイムズスクエア。I❤️NYのTシャツ。

本で調べて行きたいところは全て回ったが、目的は
グランドゼロである。

そこは大きな穴と、献花やサイン、行方不明者の写真や
様々な人種の人が行き交い、なんとも言えない空気が
漂っていた。

あったはずのツインタワービルがなく、
大きな黒い穴には水が流れ、いまにも
吸い込まれるような空間が開いていた。

いつの間にか、立ち尽くし
テロの映像が頭をぐるぐる回り、涙した。

ろくに英語も喋れなかったが、感覚は言葉を超え
世界の大きさや、国としてのスケール、
NEW YORKという独特のムードを味わった。

朝からマックでステーキバーガー、
路上のとんでもなく大きいドーナツに
半分も飲めないLLサイズのコーヒーに
原色のゲータレード、公衆トイレがなく、
レストランでチップ、地下鉄のトークン。
落書きにシャワーの勢いの弱いホテル。

一番驚いたのが、ハーレム地区の
125ストリートステーションという駅

地下鉄の駅で地上に上がるとHIPHOP
どこからともなく聞こえ、上半身裸の
黒人が信号機にぶら下がり、
大声で叫んでいた。怖すぎる。

ハーレムは治安が悪いとは
調べてわかっていたが、出鼻をへし折る
衝撃の光景だった。

見ないフリをして、反対方向へ向かい、
大きなスーパーに入った。
コストコの2倍ぐらいのサイズの
スーパーの外にはバスケのコートがあり、
なぜかそこにいた黒人と対決なった。
中国人と勘違いしていたのはすぐにわかったが、
20分くらい白熱し、握手をして別れた。

すごくいい人で、ハーレムの最初の
イメージが変わった。
帰りも125ストリートステーションは
怖くてたまらなかったが、
すぐにホテル帰る事ができた。

あれから、18年いまのNEWYORKは
更なる進化をしているだろう。

また旅行したい。憧れの街である。

また、明日。

2020年3月3日